No41
2005.2.18
トップページへ戻る
あたか農園だより
前の便り
便り一覧
人参の糖度を計ってみました。
 あたかの人参は「あま〜い人参」がキャッチフレーズですが、自分で食べてみて甘いので、自信は持っていたのですが、「ではどれくらい甘いの?」と問われても客観的に示せるものがありませんでした。そこで、先日スーパーから他の産地の人参を買ってきて、我が家の人参と糖度を計り比べてみました。甘いと感じる要素はいろいろあり、機械で計る数値は絶対的なものではありませんが、ひとつの目安にはなるでしょう。 
 結果は、他産地の人参の平均が
7.5度に対して我が家の人参は平均8.5度(MAXは10度)。約1度高い数値でした。
 インターネットで検索してみると下は6度から上は10度までいろいろですが、だいたい一般的な人参であれば7度くらいのようです。ちなみにトマトは6度。ネギは4.4度というデータもありました。人参自体高い部類で絞ってジュースにするのも分かる気がします。とりあえず「看板に偽りあり」とは言われずに済みそうですが、その人参の出荷も、あと4、5日で終了です。

トレイサビリティー
 産地偽装や農薬の問題から農産物の生産された過程の情報を明らかにすることが求められるようになってきました。地元でも農協に野菜を出荷する際は栽培履歴書を提出すように決められています。どの畑に何時種を蒔き、どんな肥料を使い、農薬はどれだけ散布したかを漏らさず記録した書類です。
 生産の過程を消費者に理解してもらう事は大切な事だと思います。今まで農業に一番欠けていた部分かもしれません。また、農作物に課題があった場合、振り返って検証出来るので農家自身にとっても有益です。
 このように良い事ずくめのトレイサビリティーですが、それでも、私は「何か違うんじゃない?」と釈然としないものを感じます。それは、相次いだ産地偽装や農薬の不正使用で高まった消費者の不信を拭う方策として、これしか無いような取り上げ方がされているような気がするからです。
 データは所詮人が記入するもの。不信が高じればどんなに記録を細かく求めても際限がありません。履歴はあくまで補完でしかないのでは?人と人の信頼とはそういうもので築けるものなの?という素朴な疑問がわきます。農業が消費者の理解を得ようとする時、栽培履歴の記録の精査より、農家というひとりひとりの人間を理解してもらう作業がより重要な気がしてなりません。
次の便り