あたか農園だより
No.106
2010.7.31
 土に還る赤シソ

  

 胸の高さまであった畑一面の赤シソも一日で右の写真のように跡形も無くなります。
 よく「勿体無いねぇ。」と、言われるのですが、赤シソばかりは他の野菜のように、「これがあるなら今晩のオカズにしようか。」というわけにもいきませんから、タダでもいらない、と市場では値段がつきません。次の作付もあり、やむなくトラクターで鋤き込んでしまうのですが、言われるまでもなく、鋤いてる本人も、勿体無いなあ〜、と思いますね。
 でも、最後まで高品質の赤シソをお届けしようとすると、勿体無くない様な赤シソを鋤き込んでいるようではお客様の信頼を裏切ることにもなりかねません。
 さらに申し訳ないのは、こうやって一本も無くなった後、赤シソを買いそびれたお客様が飛び込んでこられる時です。しかも、「梅は準備しているんです。」と言われると、何とかしてあげたいのは山々なのですが、どうしようもありません。

 毎年、何かしら心残りな思いをしながら赤シソシーズンを終了となります。
 来年はぜひ7月10日くらいまでにお出でください。
 消費者になってはいけない?
  世の中、消費者が一番大切にされなければならない、という風潮がある様な気がします。
 「お客様は神様です。」といったのは三波春夫ですが、新聞やTVでも、消費者が今何を一番望んでいるかを重視し、それを汲み取れないメーカーや流通は消えてゆくしかない様な論調が多いようです。
 消費あっての生産という構図。また、消費者は弱者。生産(大企業)は強者。というイメージから弱者を守るのが良い社会という感覚もあるのかもしれません。

 ところが、最近、それと真反対の説に触れる機会がありました。

 一人は、直売所「みずほの村市場」経営の長谷川さんの講演会。講演後の質問で、お客さんは大切と思うが、どう向き合っているかと問われて、「お客様は神様ではありません。ぐだぐだ言いながら買ってもらわなくていい。お客の意向より生産者がどれだけ自信を持った作物を提供できるかということに心を砕いている。そのことが最終的に信頼を得ることだと思う。」と、大胆な答えにカルチャーショック。
 
 もう一人は宮崎駿監督のインタビュー記事。(以下引用)
 映画監督の宮崎駿さんが、アップルのタブレット型端末iPadにダメ出しをしたとネットで話題になっている。iPadを使っている人は新製品にとびついて得意になっているだけの「自慰行為」そのもので嫌悪感すら覚える。誰もがiPadで入手できる程度の情報はたいしたものじゃない、というのだ。
 質問者がiPadは欲しい情報が居ながらにして手に入るなど、先進技術や利便性を説明すると、「あのね、誰でも手に入るものは、たいしたものじゃないという事なんです。本当に大切なものは、iナントカじゃ手に入らないんです」と切り捨てた。宮崎さんは仕事で使うものは鉛筆と紙、わずかな絵具があれば充分だという。
 氏曰く、「あなたは消費者になってはいけない。生産するものになりなさい」。

 よく考えると、消費あっての生産ではなく、生産あっての消費ともいえるでしょう。消費だけではやがて無くなりますから。何かを創造し作りだすことのほうが人間としての本来のあり方ではないでしょうか。消費を偏重されすぎていることも社会が何か変だと感じさせるひとつの要因のような気がします。

 もっとも、今までの農業はあまりに消費のことを考えてなかったということはあるかもしれませんが・・・。
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