キッカケは、昨年届いた友人からのメールだった。
今年いっぱいで自分のホームページもメールも閉鎖するという。
理由は、ネットで得るものより失うものが多いという結論に達したからで、溢れ過ぎる情報に振り回されたりする間に、自然と対話したりする大事な時間を失っていることに気がついた、とあった。
ガーン!頭を殴られたようなインパクトだった。
思い当たらないでもない。知らず知らずのうちに自分もネットに毒されているかもしれない?
そういえば、夜、自分の部屋に戻ると、すぐパソコンのスイッチを入れるようになっている。意味も無くダラダラとネットサーフィンをしていたりもするではないか。(-_-;)
また、IT機器偏重の弊害として
文字を手で書く場合に比べて脳の活性度低下が長時間続く事によりもたらされる人間の脳の機能退化、従来に比べて行動の多様性喪失による能力不全化などが言われていることにも触れていた。
このことを取り上げたTV番組は、私も見た。
手書きは、書く内容の構想はもとより、書き始める位置、筆圧、字の大きさと配分、さらには上手く書こうというような様々な判断を、無意識のうちに瞬時にする為に脳がフル回転しており、それに比べるとワープロなどを使っている場合は休眠状態であることを脳のセンサー画面は歴然と示していた。
そうだ、最近、簡単な漢字を思い出せないことが多い。読めても書けない。
だって、ワープロが変換してくれるもの。必要ないものは記憶から消えていくが道理。人間の機能は使わなければ退化する。
やばい!すでに、かなり重症かもしれない(>_<)?
ようし!明日から手紙を出しまくるか。・・・でも、急に山のように手紙をもらっても困るだろうし、その前に書くこと無いし・・・。
そうだ!もうすぐ年賀状。これだ!これを手書きだ。
もともと多少手書きしていたが、こうなれば表裏全面手書き、それも毛筆!
決意は固かった。
それが12月の初め、まだ時間は充分にある。(^。^)
そうこうしているうちに野菜の出荷が本格化した。
暮れが迫るにつれ、出荷に追われ年賀状どころではなくなった。
何とか出荷が終ったのが30日。ところがその日は毎年恒例の最後の忘年会。
大半は大晦日、正月の準備に追われている妻の白い眼にも耐えながら、ひとり机に向かって黙々と脳の活性化。
30枚くらいまでは調子がよかった。50枚くらいから肩が凝りだした。
昨夜の酒が残っていたのか、肩こりがひどくなったのか70枚くらいから慣れない筆先が上手く運ばない。そのうち眼もかすみだして(@_@;)、あえなくリタイヤ。
もう脳は充分活性化したかもしれないよね、ね、ね。
パソコンさん助けて。
年賀状が元日に届かなくても、手書きでなくても
決して誠意が無いわけではないのです。
なんだ、言い訳かよぉ(-"-)、という声が聞こえてきそう。