あたか農園だより
No.90
2009.3.27
赤しそが芽生えてきました。
 最初に種を蒔いた赤しそが土から顔をのぞかせ、このくらいになりました。
 接写で撮っているので大きく見えますが、一つ一つはせいぜい2,3mmくらいでしょうか。よ〜く見ないと分からないくらいです。それでも、双葉と本葉で一本に4枚の葉が出て、本葉はすでに少し紫色帯びてきています。
 これから収穫が始まる6月まで2ヶ月余り、雑草との長い戦いが続きます。
76年前の農業
 先日、曾祖母と大叔母の50回忌法要を行ないました。
50年ともなれば故人の記憶は、縁者でもおぼろげに残っていれば良いほうでしょう。主催する曾孫にしても物心つくかつかない頃で、思い出も危ういものです。
 どんな人だったんだろうと古いアルバムをめくっていると、大正、昭和と、その時代その時代の生活や風景、世相などがよみがえってきて、しばしタイムスリップを楽しみました。なかでも印象的だったのが祖父のこの一枚。
 記録魔らしい祖父の説明書きをそのまま引用すると、


「荷積小車(リアカー)ニ出荷蔬菜約八拾貫ヲ満載シ午前四時出発、約五里二十町(22km)アル八幡市(北九州市)市場ニ蔬菜出荷ノ光景。
正ニ到着セントスル前、市中上り坂路ヲ歩行行進中。
昭和八年拾月拾五日早朝午前七時頃撮影ス。団兵衛参拾八歳」


片道3時間以上かけて野菜の出荷、それもリアカーを自転車で牽引してというから、そのタフさは想像を絶します。
なにせ私などは、ただ自転車を漕ぐだけでも少しの上りで息が切れてへばっていますから・・・。

 当時の出荷時間からすると出荷から帰るのがお昼前でしょうから、それから畑仕事、もちろんトラクターなどは無く、牛で耕す他はすべて鍬、鎌の手作業、出荷の荷作りは夜なべ仕事だったようでその写真もありました。
 その当時は我が家に限ったことではなく、周りの農家は似たような生活だったといいます。
 
 貧しく大変だったかもしれませんが、勤勉で家族が助け合って生きていた様子がうかがえます。糞尿さえ肥料にした時代、CO2排出は間違いなく少なかったでしょう。
 科学技術の恩恵を享受して便利で豊かといわれる今の時代を生きていながら、振り返ると当時の人の方がなぜか心豊かに生きているように見えるのは、あながち古い時代への郷愁からだけもないような気がします。


 日々の生活に追われるだけでなく、過去の人々とその時代に思いを馳せ、時の流れの中で今と未来を考えることが出来る、そういう機会を持つためにも五十回忌法要というのはよ〜く考えられた区切り方なのかもしれません。

 もっとも、これからの時代は法要をやってもらえるかどうかも分からなかったりして・・・。

次の便り
前の便り
便り一覧